本文へジャンプ

vol.040 桂 歌助

    桂 歌助 【落語家】

    きらり~あの人この人~ vol.040

     

    kirari40_main.jpg


     1962年十日町市生まれ。東京理科大学卒業。教師を目指していた大学在学中の85年12月、師匠・桂歌丸に入門、歌児となる。
     90年6月二ッ目昇進、歌助に改名。99年5月真打昇進。古典落語を中心に活動。
     2018年、国際NGOマラリア・ノーモア・ジャパン「第五回ゼロマラリア賞」受賞。
     2018年、「師匠 歌丸 背中を追い続けた三十二年」を発表。




    「わたしの首から下は両親がつくってくれた。首から上は師匠がつくってくれた」

    ― 7月に桂歌丸師匠が亡くなられました。今の心境を聞かせてください。

    桂歌助(以下、歌) 師匠があまりにも偉大で、あたしも師匠をずっと追っかけて芸の修行を続けてきたので、自分としては途方に暮れている状態です。弟子はもちろんですけども、落語芸術協会、業界にとっても大変な損失になってしまいました。50年間「笑点」に最初から出続けて、その間も古典落語の誰もやらない話をどんどん掘り起こしてった人ですからね。大巨星が逝ってしまいました。

    ― 「師匠 歌丸」を書いたきっかけは。

    歌 今年の7月2日に、うちの師匠が目をつぶったんですが。その1年前にある人が師匠の教え、弟子の育て方、これを本にまとめたらと勧めてくれたので、自分が1年間くらいかけて書いていたんですね。
     まだまだその頃はうちの師匠も元気で、入退院は繰り返していましたけど、こんなに早く逝ってしまうとは思ってなかったんでね、もちろん題名のことや表紙の写真とか帯の推薦文とかも了承を得て、本が出来上がって師匠にも読んでもらおうと思っていた矢先に、師匠は目をつぶってしまったんですね。だから師匠は中身を読んでいないんです。読んだら喜んでくれたのか、それとも「コノヤロー!」って怒ったか。「こんなこと書きやがって!」って言ったかはわからないですけど。

    ― 笑点を観ているだけではわからない、人間・桂歌丸を知ることができました。

    歌 ありがとうございます。笑点でうちの師匠はどんどん人気者になったんです。師匠のキャラクターって「ハゲで死にぞこないで、割合と毒舌もあるし、風刺ネタはあるし、ツッコミも厳しい。そういった面をお客様に観てもらってました。あとおかみさんをね、キャラクターとして冨士子さんをいじってましたけど、そうではなくてホントにうちの師匠は厳しい。
     とにかく「ほめる人は敵と思え、叱る人は味方と思え」という教えで叱り続けてくれたんですけども、ほめられたことはいっぺんもないんです。それでも愛情豊かに自分たちを面倒見てくれた。その師匠のことを書きましたんで、こういう一面があったのかと、そこを読んでもらえたらなと思います。

    ― ちょうど真打になった頃、歌丸師匠に反発した時期もあったと。

    歌 師匠に面倒見てもらってばっかりじゃ自分もいけないと思ったんで「自分は自分でやります」というつもりで、師匠のところを離れて稽古したり仕事をしたりということが、真打になった時からありましたけど、それをうちの師匠は良しと思わないところもあったんです。
     他の兄弟弟子には「あいつ大丈夫なのか、食えてるのか」って心配してたみたいなんで、この本を書き上げて世に出してから、兄弟子や弟弟子やらに、こういうことを師匠は言ってたんだよっての教えてもらったもんでね、それがわかっていたら師匠にもう少し甘えても良かったかなって思ったんですけど。忙しい中でもいつも見守ってくれていました。ほんとにありがたかったです。

    ― 本にも書かれていますが、出身校の十日町高校野球部の監督になるのが夢だったようですね。

    歌 はい。今から40年くらい前ですけども、十日町高校野球部のキャプテンとして新潟県大会ベスト8まで行ったんですね。甲子園は行けず夢破れたわけで、じゃもう次は監督、指導者として甲子園を目指そうと、そしたら教員の免許を取ってという訳で、東京の大学に行ったんです。
     これで噺家になるなんて夢にも思わなかったんですけども、どうも学校の先生、指導者っていうのは、こりゃ喋らないといけない。ただ黙々と野球をやってるわけにはいかないので、お喋りの勉強しないといけない。学問的なことは大学で教えてくれるんですけども、お喋りは何にも教えてくれないので、一番いいのが落語だなと思って。

    ― はい。

    歌 それで落語を聞きに行くようになって、だんだん病みつきになって、どの師匠に弟子入りしようかと。うちの師匠が「埋もれた噺を掘り起こす」。これをライフワークとして一生やり続けるんだってことをテレビのインタビューで言ってたのを聴いたもんですから、歌丸師匠にしようと思ったんです。
     もう一つはうちの師匠の師匠が桂米丸師匠で、米丸師匠の師匠が古今亭今輔師匠で、今輔師匠の落語「ラーメン屋」というのが昭和39年に発表されて、あたしもやりますからもう四代続いてんですけど、その「ラーメン屋」を聴いた学生の頃、これ喋ってみたいなぁというのがあって。今輔師匠系統の噺家の弟子になりたかったので、うちの師匠の弟子になりました。

    ― 「わたしの首から下は両親がつくってくれた。首から上は師匠がつくってくれた」と、書いてありました。

    歌 今こうやってあたしが生活できているのは、師匠が教えてくれたことでおまんまを食べていますので、身体は親がつくってくれたけど、自分の考えなり、芸とかしきたりと申しましょうか、身に着けたものは全部師匠が教えてくれましたんで。

    ― 天国の歌丸師匠にメッセージを。

    歌 もうちょっと長生きしてほしかったですね、あっという間にいなくなってしまいましたからね。この本をあたしが出すタイミングで目をつぶったんで、この本を読んで感想を聞きたかったなと。それは心残りではありますけれども、その分だけ師匠の意を自分の中で考えながら、芸を磨いていきたいと思います。


    (2018年9月取材)






    このエントリーをはてなブックマークに追加 Clip to Evernote Check