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vol.032 村山 宏

    村山 宏 【「肢体不自由児・者の美術展」書の部 厚生労働大臣賞】

    きらり~あの人この人~ vol.032

     

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     40代のとき屋根から転落。脊髄損傷し車椅子生活となるも入院中に着物の手描きの仕事を学ぶ。
     50代半ば、身障者センターで書道に出会う。
     第35回(平成28年度)「肢体不自由児・者の美術展」書の部で漢詩「五言絶句」を書き厚生労働大臣賞を受賞。85歳。




    自分では、気持ちが悪いほうに向かないようにしていました。一つのことに集中しているのが良かったのかなと思います。。

    ―書道はいつから始めたのですか。

    村山(以下、村) 十日町市身体障がい者福祉センターができた当初からですから、50代半ばのときです。それまで書道は全くやっていませんでした。それこそ学生時代にやっただけです。

    ―厚生労働大臣賞を受賞した感想を。

    村 あまりにも高い賞で、自分に合わないように思います。生まれて初めてこんなことになったから、この歳まで生きてきてこんなにびっくりしたことはありません。自分でも何と言ったら良いかわからないくらい驚いています。言葉になりません。

     センターに来て書道を始めましたが、今の先生に指導してもらうようになってから欲が出たとでも言いますか、先生が教えてくれたものに対して自分としては一生懸命書こうとする気持ちが強くなったように思います。

    ―85歳にして、まだまだ書道が上手くなりたいという気持ちがあるということですね。

    村 認知症防止のつもりでやっています。自分では自分の書いたものは上手だと思っていません。いくら練習しても上達したとは思えないです。だいたい先生が書くところを見ていても筆のちょっとした加減の具合だと思うのですが、先生のように思うように手が動かないです。

    ―若い時はどんなお仕事をされていたのですか。

    村 私はそれこそ農家のせがれですから、親父と農業をやって、暇な時には土木関係の仕事をやりました。 40代で怪我をして車椅子生活なってからは、着物の手描きの仕事をしていました。それが筆というものをもつ経験としては良かったのかなと思います。怪我をしてまだ十日町病院に入院している時にある人が世話をしてくれて、入院している最中に薬の空き箱を机代わりにして、病室で着物の手描きを習い始めました。

     病院で仕事を習ったのは、おそらく私くらいのものだろうと思います(笑)。そして、退院してからは家で60代半ば頃まで仕事を続けました。怪我のおかげじゃないけれど、怪我をしなかったら着物の手描きをしていたかったし、書道はしていなかったと思います。

    ―生き方が前向きですね。

    村 自分では、気持ちが悪いほうに向かないようにしていました。一つのことに集中しているのが良かったのかなと思います。気持ちだけは真っ直ぐにいたつもりだけれどね、世の中の人についていくことができなくてだめですね。何をやっても上手に出来なかったし(笑)。

    ―今まで真面目に生きてこられたから、厚労大臣賞という素晴らしい賞を受賞されたのかもしれません。

    村 ありがとうございます。大臣賞と言われると耳が痛い。私みたいな者がもらえる賞じゃない。実力がないのにこんな賞をもらっちゃって(笑)。賞状と金メダルをもらったのですが、金メダルなんてスポーツを死ぬ気でやっている人がもらうもので、私みたいに遊んでいる者がこんな大きな賞をいただけるなんて夢にも思いませんでした。もっと能力のある人がもらうべき高い賞だと思うので、恥ずかしいばかりです。

     この賞をいただけたのは、全てまわりの人のおかげなんです。本当にそう思います。東京の授賞式に行くにも、センター長さんが朝早くから夕方遅くまで車の運転をしてくださって、そして一切の事を仕切ってくれたからここまで来たのであって、センター長さんのおかげだし。字は先生が教えてくださった。センター長さんと先生には心から感謝しています。

    ―支えてくれた奥様に一言いただけますか。

    村 いつも女房には迷惑をかけています。私がこれだけの怪我をしても離縁されなかったので、ありがたかったです。ありがとうの一言ですね。


    (2017年3月取材)





    ORADOKOマガジン 2017年4-5月号掲載

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