『越後妻有アートメモ』

この番組は、エフエムとおかまち・FMゆきぐに・エフエム上越をネットして、
企画・制作エフエムとおかまちでお送りします。

雪深く、豊かな自然に囲まれた越後妻有は、伝統と文化が息づくアートの宝庫。
この番組では、妻有の里山を舞台に数多く点在するアートとともに、この地域の様々な魅力をご紹介します。

今日ご紹介するアートは、2015年に開催が予定されている
「『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2015』と、開催に向けての取り組み」です。
それでは皆さん、メモのご用意はよろしいでしょうか。


越後妻有は新潟県中越地方の山間(やまあい)にある、十日町市と津南町一帯を指した古くからの呼び名です。
この静かな山間地域を舞台にして、3年に一度、世界最大規模の現代アートの祭典
「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」が開催されています。
2000年から始まったこの祭典はこれまでに5回開催され、その度に大きな反響を呼んできました。
最近では「大地の芸術祭の里」として越語妻有の知名度と人気も高まり、
芸術祭をきっかけに地域への来訪者も増えています。


大地の芸術祭の特徴は、今まで行われてきた美術館や博物館での展覧会などと違い、
施設の中に置かれたアートを鑑賞するだけに留まらず、実際に作品やアーティストと触れあい、
時には作品づくりやメンテナンスを体験して、鑑賞者がアートそのものに参加できる点でしょう。
広大な里山のあちこちに置かれたアートを媒介に、その土地の持っている魅力や価値を見直し、
世界に向けて発信することで過疎や高齢化が進んだ越後妻有の再生を目指した一連の取り組みは、
アートを利用した地域振興の成功例「妻有方式」 として、日本はもとより世界中から注目されています。


過去の芸術祭から継続して行われているコミュニティデザインや空家・廃校プロジェクト、
2012年から新たに始まった企業・団体とのコラボレーションなど、第5回までのノウハウを活かしつつ、
2015年に開催される第6回・大地の芸術祭に向けて、既に様々な企画が進められています。
今までと大きく違うのは、一般公募作品の受付をこれまでの募集の時期から1年も早めたことです。
大地の芸術祭では、アーティストと地域住民の協働で作品をつくり上げていくため、年単位での作業が必要です。
2015年の芸術祭は、今までよりもさらにじっくり時間をかけて、
越後妻有という土地により深く根差した作品にしてもらえるよう、
時間にゆとりを持たせた制作スケジュールが設定されました。


ここで、大地の芸術祭で発表される作品の種類と公開されるまでの過程を説明しましょう。
大地の芸術祭で発表されるアート作品には、招待作家の作品と一般公募で選ばれた作家の作品の、
大きく分けた2種類があり、一般公募作品はさらに細かく3つの部門に分かれています。
一つ目は、越後妻有の魅力を存分に活かしたアート作品やパフォーマンスを募集する「部門A」。
二つ目は、越後妻有にある既存の空家・廃校作品施設、屋外作品を活用したイベント・パフォーマンス、
企画展、食の展開、大学や企業のセミナーハウス、サテライト施設など、創造的事業を募集する「部門B」。
三つ目は、美術、音楽、パフォーマンスといった規定の枠にとらわれない自由な発想で、
越後妻有の生活に根差した食、農、スポーツなど、フリージャンルの楽しい企画を募集する「部門C」。


全てに共通しているのは、越後妻有地域独自の歴史や自然、豊かな土地の資源と魅力を活かし、
国際的な発信力を持った作品であること、そして何より、
作り手が「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」の趣旨や
コンセプトを理解していることが求められています。
これまでに公募で採用された作品は、渡辺泰幸(わたなべ・やすゆき)の2003年・第2回作品「土の音」、
水内貴英(みずうち・たかひで)の2003年・第2回作品「ミーツ」、同じく2009年・第4回作品「虹色の蛇」、
大西治・雅子(おおにし・おさむ・まさこ)夫妻による2009年・第4回作品「ゲロンパ大合唱」 など、
多数発表されています。


芸術祭への作品応募は、1プランにつき1,000円の料金がかかり、
応募点数は1組につき3プランまでという制限が設けられています。
2015年の公募作品エントリー締切は2013年6月14日まで。その後、6月から7月まで、
およそ一か月かけて書類による1次審査、次いで8月の面接による2次審査を経て、
企画は最終的に10点程度に絞られます。大地の芸術祭総合ディレクター・北川フラム氏による
3か月にもわたる厳正な審査 を通過したものが、芸術祭に出展できるのです。
作品の応募に特別な資格はいりません。
これまで挙げた、「越後妻有という土地と、大地の芸術祭について理解していること」という
条件さえ満たしていれば、誰でも応募できます。
次回、2015年の第6回・大地の芸術祭に向けて、皆さんも、自身で考えた素敵なアイディアを応募してみませんか?


越後妻有のアート作品は、住民がこの土地でいきいきと暮らし、
働きながら価値観や境遇の異なる人びとと共存できる、自立した地域を目指して展開されています。
アートを糸口にした様々な地域活性の取り組みは、瞬間的なものではなく、
長く継続していくことで独自の魅力として地域に根付くのです。
成功も失敗も、上手くいった点も問題点も含めて、越後妻有で得られた大きな成果は、
これからも世界に発信されることでしょう。


いかがでしたか?頭の中に素敵なメモは描けたでしょうか。

2012年7月から様々なアートを取り上げてきた『越後妻有アートメモ』も、
今回で最終回を迎えます。長らくのお付き合い、誠にありがとうございました。

『越後妻有アートメモ』、最後にご紹介したアートは、2015年に開催される
「『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2015』と、開催に向けての取り組み」でした。

 

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『越後妻有アートメモ』

この番組は、エフエムとおかまち・FMゆきぐに・エフエム上越をネットして、
企画・制作エフエムとおかまちでお送りします。

雪深く、豊かな自然に囲まれた越後妻有は、伝統と文化が息づくアートの宝庫。
この番組では、妻有の里山を舞台に数多く点在するアートとともに、この地域の様々な魅力をご紹介します。

今日ご紹介するアートは、立地や景観を活かした
「越後妻有の映画やドラマのロケーション地とロケ応援団」です。
それでは皆さん、メモのご用意はよろしいでしょうか。


都心から電車で2時間、車で3時間ほどの距離にある越後妻有地域には、
棚田やブナ林、山間(やまあい)に広がる集落など、現在では珍しくなった
日本の原風景と言われる姿がたくさん残っています。
青々とした田んぼは秋に向けて徐々に黄金色に染まり、やがて鮮やかに紅葉する山々。
冬に降り積もる真っ白な雪は里山を覆い、辺り一面に広がる銀世界。
四季折々の表情を見せる越後妻有の自然を舞台に、これまで多くの映画やドラマの撮影が行われてきましたが、
近年、その動きがさらに活発になってきています。


ロケーション・ハンティングという言葉をご存知ですか?
映画やテレビ番組、コマーシャルなどの制作で撮影する場所を探すことを指した言葉で、
「ロケハン」や「ロケ」と略されることもあります。
ロケを行う場合、機材の運搬、施設の確保、撮影の申請など多くの事前手配が必要なため、
撮影を誘致するその地域のフィルム・コミッションと呼ばれる機関や
地元自治体の担当者を交えて行われることがほとんどです。
最近では、地域活性化の取り組みの一環として、映画やドラマの撮影の誘致から
地域振興に繋げよう、という動きが日本各地で流行しているようです。


ここ越後妻有でも、地元の魅力を発信し、積極的にロケを誘致することで
人と賑わいを呼び込もうと様々な活動が展開されています。
2010年、「十日町地域ブランド構築事業」の流れをくんで「新潟県十日町市ロケ応援団」が結成 されました。
地元のモノや人、場所にとことんこだわり、「十日町を有名にする」ことを目的に掲げたこのロケ応援団は、
市役所や各地域の自治会、商工会議所、観光協会などの職員の他にも
多彩な業種で活躍するメンバーが所属していて、メンバーのネットワークを最大限に活かし、
単に撮影を誘致するだけのフィルム・コミッションとは一味も二味も違う、
独自のきめ細やかなサービスを提供しています。
撮影場所の紹介から撮影許可申請のサポート、宿泊や車両、地元住民に呼びかけて
参加者を募集する大勢のエキストラの手配など、
かゆいところにも手が届く配慮と万全の受け入れ態勢は、撮影に訪れたロケ部隊にも好評です。


ここで、過去に越後妻有で撮影されたロケ地をいくつか振り返ってみましょう。
2009年、NHKの大河ドラマで上杉氏の重臣・直江兼続が主人公として取り上げられた
「天地人」のオープニングでは、幻想的な棚田の風景が登場しました。
これは、十日町市松代地区星峠集落の棚田です。
「にほんの里100選」にも選ばれた絶景は、全国から訪れるカメラマンが後を絶ちません。
また、同じく2009年の大地の芸術祭の作品として十日町市本町商店街を舞台に撮影された映画
「しゃったぁず・4(フォー)」や2011年の沖縄国際映画祭の企画・地域発信型プロジェクトとして
中条地区の中条桂スキー場で撮影されたショートフィルム「雪の中のしろうさぎ」、
中里地区のなかさと清津スキー場で撮影されたテレビドラマの劇場版作品「SPEC~天~」。
津南町でもニュー・グリーンピア津南を舞台に撮影された映画「ホワイトアウト」や「DOLLS」、
秋山郷結東集落の見倉橋を舞台に撮影された映画「ゆれる」など、
この地域でいかに多くの作品が撮影されているかが窺えます。


最近では、有川浩(ありかわ・ひろ)の小説を原作とした映画「図書館戦争」の舞台のひとつとして、
十日町市へのロケ誘致 が成功しています。物語の舞台「武蔵野第一図書館」として
十日町情報館を使って行われたロケには、約100人の地元住民が
エキストラとして参加した、大掛かりなものでした。
撮影現場では、十日町の知名度アップに繋げようと魚沼産コシヒカリや妻有ポークなど、
地元の食材をふんだんに使ったお弁当「コシヒカリまんまロール」がロケ弁として差し入れられました。
「日本一のロケ飯」を目指して振る舞われたこのお弁当は現場でも大変好評で、
おいしい食事は撮影現場のサポートに一役買っています。
昨年10月と11月に行われた図書館戦争の撮影は無事終了し、
今年4月27日の劇場公開に合わせて情報館でのイベントも企画されています。


十日町市ロケ応援団は、2011年までを第一期の活動として区切りをつけ、
新しい体制で活動を継続していく予定です。
ロケハンのサポートを通じて越後妻有の持つ自然や場所、人としての魅力を
多くの映画ファンの心に刻み込んでいくこの活動は、今後、新たな展開を模索しながら
地域のさらなる活性化を図っていくことでしょう。


いかがでしたか?頭の中に素敵なメモは描けたでしょうか。
『越後妻有アートメモ』、今日ご紹介したアートは、
「越後妻有の映画やドラマのロケーション地とロケ応援団」でした。

 

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『越後妻有アートメモ』

この番組は、エフエムとおかまち・FMゆきぐに・エフエム上越をネットして、
企画・制作エフエムとおかまちでお送りします。

雪深く、豊かな自然に囲まれた越後妻有は、伝統と文化が息づくアートの宝庫。
この番組では、妻有の里山を舞台に数多く点在するアートとともに、この地域の様々な魅力をご紹介します。

今日ご紹介するアートは、十日町市下条地区願入集落にある
「うぶすなの家で開催されるひなまつり」です。
それでは皆さん、メモのご用意はよろしいでしょうか。


十日町市下条の山間部(さんかんぶ)に位置する願入集落は、
小千谷市・魚沼市との境に接している戸数わずか5戸の小さな集落です。
2004年の中越地震で被害を受けてできた空家を、アートで再生して集落に活気を取り戻そうと計画されたのが
第3回・大地の芸術祭での空家プロジェクト作品「うぶすなの家」でした。
ここでは、毎年3月に春の訪れを告げる恒例行事として、ひなまつりが開催されています。


3月3日、桃の節句に合わせて女の子の健やかな成長を願い、
雛人形を飾ってお祝いする行事は、平安時代に始まったと言われています。
華やかで心和む日本の伝統行事は、長い時間の流れの中で
その土地ならではの雛飾りや雛人形、雛祭りに発展しました。
最近ではそれぞれの地域の行事を見て楽しむ、雛祭りツアーなども組まれています。
新潟県内でも、村上市で行われている「町屋の人形さま巡り」などが有名です。
時代によって雛人形の顔つきや身に着けている調度品などが違うため、
地域に伝わる人形を市内のお店や家に飾り、来訪者に巡ってもらおうという催しです。
このような地域の雛祭り行事は、新たな観光資源として近年注目を集めています 。


越後妻有でも、大地の芸術祭の里で行われる冬のプログラムのひとつとして、
うぶすなの家のひなまつりが開催されています。
これは、茅葺き屋根の古民家を再生したやきもの美術館に雛飾りを飾り、
陶芸作家のつくった器でひなまつりの限定メニューやお茶会を楽しもうという催しです。
周辺の地域から集めた歴史ある雛人形をたくさん飾り、
かわいらしいつるし雛を吊り下げてお客様をお迎えする、うぶすなの家のひなまつり。
天井から吊るされた雛飾りは、集落の女性たちがひとつひとつ思いを込めて手づくりしたものです。
2008年から始まったこのひなまつりは、今年で6回目を迎えます。開催するたびに雛飾りの数も増え、
つるし雛は年々豪華なものになってきました。


地元のお母さんたちの手料理が楽しめるうぶすなの家は、冬を除いて一年中営業しています。
大地の芸術祭が開催された夏にここを訪れ、レストランを利用された方も多いと思いますが、
ひなまつりの限定メニューとして振る舞われる「ひなまつり御膳」も人気が高く、
遠くから訪れる人の予約でいっぱいになることも珍しくありません。
料理はお母さんたちがアイディアを出し合って考えています。
去年のひなまつり御膳 のメニューは、笹の葉に包まれた山菜寿司と姫タケノコのお吸い物、
甘辛い車麩の天ぷらに山菜小鉢、デザートは手づくりのいちご大福でした。
今年はどんなメニューが登場するのでしょうか。


食事メニュー以上に人気なのが、うぶすなの家を切り盛りしているお母さんたちのおもてなしです。
料理はもちろん、作品の解説やお母さんたちとの他愛もないやり取りは、
訪れる人にとって何よりものご馳走なのかもしれません。
山間(やまあい)の静かな農村で暮らしていた人たちが、うぶすなの家ができたことで集落に人を招き入れ、
訪れる人びとの体験の一部となる。その役割を得た喜びが、笑顔からにじみ出ているようです。


村上市の「町屋の人形さま巡り」が成功をおさめて以来、県内でも
様々な雛祭りイベントが開かれるようになりました 。
しかし、これらを「雛人形を見に行くだけのイベント」として開催しても、思うような集客にはつながりません。
来訪者にとって重要なのは、雛祭りイベントそのものではなく、訪れた土地で
何を感じて体験したかではないでしょうか。
古民家を再生した美術館で振る舞われる、おいしい料理とおもてなしの心遣い。
うぶすなの家には、遠くから足を運ばせるだけの素晴らしい魅力があるのです。
その魅力をより多くの人に伝えるために、来たことのない人の背中を少しだけ後押しして、
訪れるきっかけを与えてくれる。うぶすなの家にとってのひなまつりは、そんなイベントなのです。


今年のうぶすなの家のひなまつり は、3月9・10、16・17の4日間、土曜日と日曜日に行われます。
明るく淡い色の器が魅力の陶芸家・寺井陽子(てらい・ようこ)展も同時に開催します。
限定メニューの「ひなまつり御膳」は2日前までに予約が必要です。
詳しくは「大地の芸術祭の里」総合案内所、電話025-761-7767(※番号繰り返し)までお問い合わせください。


いかがでしたか?頭の中に素敵なメモは描けたでしょうか。
『越後妻有アートメモ』、今日ご紹介したアートは、十日町市下条地区の
願入集落で毎年3月に行われている、うぶすなの家の「ひなまつり」でした。

 

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2013/03/08 第44回「雪原カーニバルなかさと」

『越後妻有アートメモ』

この番組は、エフエムとおかまち・FMゆきぐに・エフエム上越をネットして、
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雪深く、豊かな自然に囲まれた越後妻有は、伝統と文化が息づくアートの宝庫。
この番組では、妻有の里山を舞台に数多く点在するアートとともに、この地域の様々な魅力をご紹介します。

今日ご紹介するアートは、十日町市中里地区で毎年3月に行われている「雪原カーニバルなかさと」です。
それでは皆さん、メモのご用意はよろしいでしょうか。


新潟県中越地方の山間部に位置する十日町市中里地区は、苗場山の北側に広がる「小松原湿原」や
日本三大峡谷のひとつで天然記念物に指定された「清津峡」、
同じく名勝・天然記念物の指定を受けた「田代の七ツ釜」など、山と水に恵まれた景観豊かな地域です。
冬の間、2メートルもの雪が積もるこの地域は、毎年3月にスノーキャンドルイベント
「雪原カーニバルなかさと」が開催されます。


「雪原カーニバルなかさと」は、豪雪地帯の越後妻有に
春の訪れを知らせる毎年恒例のスノーキャンドルイベントです。
雪の中でろうそくの明かりを灯すスノーキャンドルは、その幻想的な雰囲気が話題を呼び、
雪国で盛んに行われている人気イベントのひとつですが、
今年で25回目を迎える「雪原カーニバルなかさと」は、冬のスノーキャンドルイベントの草分け的存在です。


平成17年の市町村合併前、中里地区は人口一万人に満たない小さな村でした。
昭和59年の豪雪の際の雪崩など、度々大きな雪の被害を受けていた旧中里村は、
毎年必ず降る雪に負けず、活力ある村づくりを目指そうと、昭和63年に「雪国はつらつ条例 」を制定しました。
この条例の精神として掲げられた雪に負けない「克雪」・雪を有効活用する「利雪」・雪と親しんで楽しもう、
という「親雪」の3つのスローガンに沿って、住宅の融雪設備の導入を補助するなど
様々な活動を推進していきます。
条例を制定した翌年の平成元年には、雪を使って地域を盛り上げようと、
当時の村の人口と同じ数の約7,000本のキャンドルを灯すイベントを開催しました。
こうして今から25年前に「雪原カーニバルなかさと」が誕生したのです。


平成17年4月1日、十日町市との合併により旧中里村の「雪国はつらつ条例」は失効しましたが、
中里地区の季節の風物詩となった雪原カーニバルは引き継がれました。
イベント当日は、雪原に広がるキャンドルの明かりを楽しむだけでなく、
会場で開催されている雪上ゲームや雪原ライブ、郷土料理を楽しめる食ののれん街、
福まきなど多くの行事が催され、一日を通して楽しめます。


「雪原カーニバルなかさと」の一番の魅力は、キャンドルや受け皿となるカップの制作から
ゲレンデにキャンドルを設置して点火するまでの一連の作業が体験できる、
観客参加型のイベントだという点でしょう。
誰でも参加できるスノーキャンドルの点火は、毎年大変好評です。
夕方、辺りが暗くなり始めると、ゲレンデに設置されたろうそくに徐々に火が灯っていき、
会場周辺には幻想的な光景が広がります。全てのキャンドルに火が灯ると、
ぼんやり浮かび上がるゲレンデのキャンドルの間を、地元のスポーツ少年団が松明を手に
次々とスキーで滑り降りてきます。スノーキャンドルと松明の明かりの共演は、
カメラマンにも恰好の被写体となっています。


7,000本から始まったスノーキャンドルの数は年々増え、
今では「雪原カーニバルなかさと」に飾られるキャンドルの数は、
2万本とも3万本とも言われる 大規模なイベントになりました。
ここまで成長した背景には、地域住民の努力だけでなく、学生ボランティアの力も大きく関係しています。
平成12年、旧中里村出身の学生が地元を盛り上げたい、と国際ボランティア学生協会IVUSA(イヴューサ)を
通して雪原カーニバルの活動に参加したことがきっかけ となり、以来継続して
中里地区と学生ボランティアが携わるようになりました。
学生ボランティアの参加は、今年で13年目になり、今ではイベントになくてはならない存在です。


平成23年の雪原カーニバルは3月12日に予定されていました。
しかし、その前日に起きた東日本大震災と当日に起こった長野県北部地震の影響により、
越後妻有も甚大な被害を受けイベントは中止されました。
翌平成24年の雪原カーニバルではテーマに「祈り」を掲げて、スノーキャンドルの明かりに
それぞれの思いを託し、イベントは開催されました。
引き続き開催する今年のテーマは「誓い」。
追悼の思いを捧げた「祈り」から震災復興への「誓い」を込めて、3万本のキャンドルに明かりを灯すのです。


今年の「雪原カーニバルなかさと」は、3月9日に行われます。
地元住民や訪れた人の手で飾られた3万本のキャンドルに徐々に火が灯り、
凍てつく雪原に厳かで神秘的な世界が現れる様子は、まるで魔法にかけられたかのようです。
1本1本のキャンドルはささやかですが、無数の光と圧倒的な美しさに誰もが心を奪われるのです。
きっと今年も、訪れる人々の心には温かな灯火が生まれることでしょう。


いかがでしたか?頭の中に素敵なメモは描けたでしょうか。
『越後妻有アートメモ』、今日ご紹介したアートは、
十日町市中里地区で毎年3月に開催されている「雪原カーニバルなかさと」でした。

 

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2013/03/01 第43回「越後三大つるし雛」

『越後妻有アートメモ』

この番組は、エフエムとおかまち・FMゆきぐに・エフエム上越をネットして、
企画・制作エフエムとおかまちでお送りします。

雪深く、豊かな自然に囲まれた越後妻有は、伝統と文化が息づくアートの宝庫。
この番組では、妻有の里山を舞台に数多く点在するアートとともに、この地域の様々な魅力をご紹介します。

今日ご紹介するアートは、「越後三大つるし雛」です。
それでは皆さん、メモのご用意はよろしいでしょうか。


新潟県南部、中越地方の山間部に広がる魚沼地域は、
冬の間2メートルから3メートルもの雪が積もる世界でも有数の豪雪地です。


この魚沼地域に最近登場した、話題の雛飾りをご存知でしょうか。
十日町市と中魚沼郡津南町、南魚沼郡湯沢町にそれぞれひとつずつ、大きな雛飾りが飾られています。
十日町市の道の駅クロス10の物産館の吹き抜け、津南町の温泉施設ニューグリーンピア津南のエントランス、
湯越後湯沢駅構内の和風雑貨を取り扱う越織(えおり)というお店の中に飾られている3つの雛飾りは、
「越後三大つるし雛」と呼ばれています。
豪華絢爛さはもちろんですが、「越後三大つるし雛」は、何よりもその圧倒的な大きさで人目を引きつけます。


「つるし雛」とは、丸く広がった笠の部分から何本も紐をたらし、
色とりどりの布でつくった人形や小物などをその紐に繋いで高い所からぶら下げる、華やかな雛飾りの総称です。
つるし雛を飾る風習は、江戸時代に始まったと言われています。
その昔、とても高価だった雛人形の代わりに、桃の節句に女の子の健やかな成長を願って
端切れ布を縫い合わせてつくった手づくりの雛飾りは、いわば庶民の雛人形 でした。
笠を天井からぶら下げて飾るものや笠に台座がついているもの、屏風のように開いて床に置いて飾るもの、
場所を取らずに飾ることができる小さなものなど、形も大きさも様々な種類 が見られます。


今でこそ縁起物 としてつるし雛が飾られる光景をよく目にするようになりましたが、
もともとこの風習は全国でも珍しく、静岡県伊豆稲取地方の「雛のつるし飾り」、
福岡県柳川市の「さげもん」、山形県酒田市周辺の「傘福」が発祥 と言われています。
この3つの風習を合わせて「全国三大つるし飾り」と呼びます。色とりどりの雛飾りは、
可愛いだけではなく、魔除けの意味を込めた唐辛子や長寿を願う鶴亀人形、干支をかたどった十二支人形など、
人形ひとつひとつに意味が込められています。


越後三大つるし雛は、和雑貨を取り扱う京都の企業・株式会社京佑(きょうゆう)の会長であり、
日本つるし雛協会の理事長を務めている北野晟(きたの・あきら)氏から寄贈 されたものです。
悲惨な天災や思いもよらない事故など、相次ぐ災害を振り払い、一人でも多くの人を癒して
みんなに幸せが訪れるように、という願いが込められています。
また、3つのつるし雛にはそれぞれ違うテーマを持たせ、
「幸せを呼ぶつるし雛」という大きなシリーズ作品として仕上げました。


越後三大つるし雛を最初に設置したのは津南町でした。
2011年9月、ホテル・ニューグリーンピア津南のエントランスホールで公開された
「幸せを呼ぶつるし雛-鶴の恩返し-」 は、鶴をメインに3,039個の人形を、
円筒の二重の塔のように構成しています。
黒地に白い鶴の柄の布を中央の柱に巻き、その周りを取り囲むようにカラフルな縁起物を
二重に垂れ下げたつるし雛は、地の色として使われた黒・赤・白の色の対比が目に鮮やかな作品です。


次いで十日町市の道の駅クロス10で公開された「幸せを呼ぶ傘つるし雛」 は、
世界記録に挑戦した作品です。市民から制作ボランティアを募り、
構想と制作に3年をかけた巨大なつるし雛は、世界一数の多い手作り詰め物人形の展示物として
2012年3月30日正式にギネスブックに認定されました。
厄が去ると言われている縁起物のさるぼぼ人形をメインに、
人形の数11,655個、飾り雛の種類は煩悩と同じ数の108種類、高さ約10m、
笠の直径2.8m、重さは約300kgの超大作です。


3つ目の湯沢町の「からくりつるし雛-雪うさぎの旅立ち-」 は、
2012年7月に越後湯沢駅構内の和物を扱う雑貨屋越織(えおり)の店内で公開されました。
雪うさぎの人形をメインに6,088個の縁起物で構成されていて、
横についているハンドルを回すと雛飾りがくるくる回転するという、一風変わったからくり仕掛けの作品です。
越織(えおり)で買い物をすると、ハンドルを回すことができます。
旅の思い出にお土産を買って、一回ししてみるのもよいでしょう。


ひとつひとつ手づくりされたつるし雛は、親から子供への愛情のこもった贈り物として、
また、生まれてきた赤ちゃんのお守りとして大切に伝えられてきました。
越後三大つるし雛は、日本の伝統工芸を媒体に、雛飾りに込められた人に対する深い思いと、
人との絆を大切にする心意気の象徴として、大切に飾られています。


いかがでしたか?頭の中に素敵なメモは描けたでしょうか。
『越後妻有アートメモ』、今日ご紹介したアートは、十日町市、津南町、湯沢町に
それぞれ寄贈された日本の伝統工芸作品「越後三大つるし雛」でした。

 

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ごあいさつ。

こんにちは。

越後妻有アートメモ ラジオ番組とブログ、フリーペーパーを担当している庭野&清水です。

2012年7月から番組が始まり、以降、越後妻有に留まらず時には南魚沼へ、また上越へ足を運び

たくさんのアートに関するあれこれを紹介してきました。

自分たち自身、地元だということもあり、普段は見逃していたものや今まで気づかなかったことがあったんだな、と

取材や誌面づくりなど、仕事を通して多くの発見がありました。

 

番組はまだ続きますが、2月で私たちはエフエムとおかまちの仕事から離れることになりました。

今まで番組を聞いてくださった方、ブログやフリーペーパーをご覧になっていただいた方。

私たちがつくってきたものが、少しでも誰かの心に届いていれば嬉しいです。

かかわってくださったすべての方へ。ありがとうございます。

 

10か月という限られた期間でしたが、エフエムとおかまちでの経験は、仕事以外でも、とても良い経験になりました。

アナウンサーさんたちと違って、ほとんど顔を出すことはありませんでしたが・・・

(ラジオへの出演は何回か経験しましたね(*^^*ゞ 照)

私たち2人をどこかで見かけることがあれば、気軽にお声掛けください。

 

残りのラジオ番組「越後妻有アートメモ」にも、お付き合いいただければ幸いです。

 

越後妻有アートメモ 担当 清水・庭野

 

 

おまけ。

 

この週末(3月2日、3日)に開催される越後妻有・雪のスタジアムにももちろん行きますよー。

キナーレの回廊。雪の運動会用に会場設営の図。

キナーレ01.jpg

キナーレ02.jpg

Gift for Frozen Village 2013と雪の運動会が楽しみです(`・ω・´)ゞ

 

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『越後妻有アートメモ』

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企画・制作エフエムとおかまちでお送りします。

雪深く、豊かな自然に囲まれた越後妻有は、伝統と文化が息づくアートの宝庫。
この番組では、妻有の里山を舞台に数多く点在するアートとともに、この地域の様々な魅力をご紹介します。

今日ご紹介するアートは、この冬開催の「大地の芸術祭の里・越後妻有2013冬」です。
それでは皆さん、メモのご用意はよろしいでしょうか。


新潟県南部、長野県との境に位置する十日町市と津南町は、古くから「越後妻有」と呼ばれている地域です。
約760平方キロメートルにまたがって広がる越後妻有は、大小合わせて200ほどの集落から成り立っています。
山間(やまあい)のこの地域では、アートを媒体にして地元を活気づけようと、2000年の夏から
世界最大規模の現代美術の祭典、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」を開催しています。


そもそも、アートを活用して地域活性化を図ろうとしたきっかけは、
新潟県が提唱した「ニューにいがた里創(りそう)プラン 」でした。
里を創ると書く文字の通り、県内の広域行政圏が独自の価値を見出し、
地域づくりに活かそうというこのプランの第一号に認定されたのが、越後妻有でした。
認定を受けた越後妻有は、人口の減少、少子化や高齢化、集落に増え続けている空家など、
中山間地の抱える問題を解決する糸口として地域をアートでつなぎ、
アートを利用しながらその土地独自の魅力や資源を世界に向けて発信しよう、という
「越後妻有アートネックレス構想」を立ち上げたのです。


この斬新な構想を元に、「越後妻有8万人のステキ発見事業」、「ステージ整備事業」など
10年計画で様々な事業を展開し、その成果を発表する場として「大地の芸術祭」を企画しました。
3年ごとに開催する大地の芸術祭は開始から10年以上経ち、2012年・第5回の芸術祭で
過去最高の48万8000人を超える来訪者を記録 するなど、盛り上がりを見せています。
アートを利用した地域活性化策は、最初こそ地元の理解を得るのに苦労しましたが、
年数を経てたくさんの人や様々な国との交流が生まれ、今では多くの集落が
積極的にこの芸術祭に関わるようになりました。


2003年・第2回の芸術祭終了後、「3年に一度ではさびしい」という地元の声から、
2004年と2005年には「越後妻有・夏10days」 と題して、イベントやワークショップが行われました。
2006年、第3回の芸術祭を挟み、2007年の夏以降、芸術祭のない年には
「大地の祭り」と銘打った催しを行うなど、継続的な活動が繰り広げられています。
さらに秋や春の作品展、冬のプログラムなど、越後妻有では「大地の芸術祭の里」として、
四季を通して様々な行事やアートイベントが行われるようになりました。


2008年の冬、初めての冬季プログラム 「越後妻有2008冬」が開かれました。
「冬の遊び、冬の祭りと現代美術」を掲げたこの催しでは、雪をアートに取り入れた
「雪アート・プロジェクト」など豪雪地の冬をテーマに、新たな試みが行われました。
翌年の2009年も、夏の芸術祭本祭前に冬季プログラム「越後妻有2009冬」を開催します。
越後妻有でのアート鑑賞通年化を目指して開催された冬のプログラムは、徐々に定着していきました。
雪を使った作品展やワークショップ、集落の冬の催事を体験するツアーなどは評判も上々です。


今季の冬のプログラム「大地の芸術祭の里・越後妻有2013冬」は、
越後妻有が真っ白な雪で覆われる1月から3月にかけて開催されています。
様々なプログラムの中でも、高橋匡太(たかはし・きょうた)の光を使ったインスタレーション、
「Gift for Frozen Village」シリーズは特に人気の作品です。
2011年に特別作品としてまつだい農舞台の雪原で発表されたこの作品は、赤・青・緑・紫など、
様々な色に光る小さなLEDライトを種に見立てて雪の中に植え、雪原に光のお花畑を表現しました。
真冬の越後妻有に一晩だけ現れた幻想的な光景を、ポスターやチラシで目にした人も多いのではないでしょうか。


翌年行われた「Gift for Frozen Village」は、2012年バージョンとして
さらにパワーアップした作品が発表されました。
今年も、2013年バージョンとして、越後妻有の雪原には一夜限りの美しい光のお花畑が現れることでしょう。
この他にも、越後妻有の冬を楽しむ風物詩として、多くのプログラムが展開されています。
みんなで楽しむ「かんじきダンス」や「雪の運動会」、現代美術家集団・新潟ユニットによる
数々の「雪アート」、絵本と木の実の美術館での「ほかもちん」、
うぶすなの家の「ひなまつり」など、作家や来訪者だけでなく地元の人たちを巻き込み、
毎年冬の越後妻有を盛り上げているのです。


今年の冬のプログラムの目玉イベントとして、3月2日と3日に
まつだい農舞台と越後妻有里山現代美術館[キナーレ]の2つの会場で
「越後妻有・雪のスタジアム」が開催されます。
おなじみのプログラムに加えて、極寒の雪景色の中で温泉を楽しむ「雪原テルメ」や
雪を活かした造形を体験する「雪の図工教室」など、新しいプログラムも企画されています。
アートネックレス構想から始まり、様々なジャンルを超えて地域に広がっていったネットワークは、
豪雪の中で培われた独特の文化とともに、越後妻有の新たな魅力と可能性を掘り起こしてくれることでしょう。


いかがでしたか?頭の中に素敵なメモは描けたでしょうか。
『越後妻有アートメモ』、今日ご紹介したアートは、越後妻有で開催されている
冬季プログラム「大地の芸術祭の里・越後妻有2013冬」でした。

 

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2013/02/15 第41回「十日町雪まつり」

『越後妻有アートメモ』

この番組は、エフエムとおかまち・FMゆきぐに・エフエム上越をネットして、
企画・制作エフエムとおかまちでお送りします。

雪深く、豊かな自然に囲まれた越後妻有は、伝統と文化が息づくアートの宝庫。
この番組では、妻有の里山を舞台に数多く点在するアートとともに、この地域の様々な魅力をご紹介します。

今日ご紹介するアートは、2月15日から17日にかけて開催される「十日町雪まつり」です。
それでは皆さん、メモのご用意はよろしいでしょうか。


新潟県十日町市は、近代雪まつり発祥の地です。
住民が参加する住民手づくりの催しとして、「十日町雪まつり」は全国に先駆けて
昭和25年2月4日に開催されました。
「雪を敵とせず、友としよう」という発想から生まれまたこの雪の祭典は、今年で64回目を数えます。
日本海側最大級の冬のイベントと言われる「十日町雪まつり」は、
どのようにして生まれ、発展してきたのでしょうか。


十日町雪まつりを最初に企画し、開催したのは、十日町文化協会という民間団体でした。
昭和25年、第二次世界大戦が終わり、それまで禁止されていた絹織物製品の生産が再開され、
着物の産地である十日町には活気と賑わいが戻りつつありました。
その盛り上がりを受けて、「雪の積もる期間、雪国の生活を少しでも明るくするために、
みんなで外に出て、雪を友として楽しむ祭を開催しよう」と
当時の十日町文化協会の初代会長が提案したのが始まりでした。
初代会長とは、日本の雪崩研究の第一人者として、また、エッセイストとして活躍した
故・高橋喜平(たかはし・きへい)です。


昭和19年から33年まで十日町の林業試験場に赴任していた喜平は、
十日町新聞に連載を持っていた随筆グループ「十日町ペンクラブ」を中心に、
昭和23年に十日町文化協会を設立し、初代会長を務めました。
昭和22年の秋、喜平は、新潟県で天皇陛下に「雪の科学」について講話する機会がありました。
陛下の「雪国で何か明るい話題はないか?」という問いに、喜平はその時は何と言っていいものか
咄嗟には答えられず、無難にスキーのことなどを挙げて、お茶を濁したようにこの話題を終えてしまいました。
その時の陛下の質問を真摯に考え続けた喜平は、
「雪を友とし、雪を楽しむ」雪まつりというイベントを思いついたのだそうです。


雪まつりの開催期間中、街のあちこちでは地元の人がつくった雪像が出迎えてくれます。
この雪像は、「十日町雪まつり」の魅力のひとつです。
「雪の芸術作品」と言われる雪像たちは、初めて開催された雪まつりから受け継がれている伝統です。
第1回の雪まつり では、これらの雪像を展示した「雪の芸術展」や、
雪国ならではの道具を焚きあげる雪具供養の火の周りで十日町小唄を踊る「雪中カーニバル」、
スキー駅伝大会などが行われました。
第2回から主催は公民館 に移り、2月中旬の土曜と日曜の2日にわたって開催されるようになりました。
現在では、金曜から日曜までの3日間行われています。


第8回目 の雪まつりからは、大規模な雪のステージで行われる着物ショーや音楽ライブなど、
華やかな「雪上カーニバル」が加わり、回を重ねるごとに雪まつりのイベントは充実していきます。
しかしその一方で、「住民参加型の住民による催し」という雪まつりの原点以上に、
大規模イベントとしての面が目立つようになりました。
さらに、小雪という気象条件も重なり、開催第9回から数年間、雪の芸術展の参加者は減ってしまいます。


これに危機感を覚えた主催の十日町市は、雪まつりの方向性を模索します。
十日町雪まつりの魅力とは何か、もう一度原点に立ち戻り、地域住民参加型の雪まつりを目指して
昭和41年・第17回の雪まつりには、十日町駅の周辺や飯山線沿線に
市内の小中学生の雪像作品を展示した「学童車窓展」が展開されました。
この企画が功を奏して、再び雪の芸術作品に注目が集まり、
十日町雪まつりは地域住民に身近な、住民自身でつくり上げる冬の催しとして発展してきたのです。


開催第20回を迎える頃から、住民たちの雪像にも大規模な作品が登場するようになります。
雪まつりの目玉、雪像コンクールでは、地域間で互いに技術を切磋琢磨するなど、
作品のレベルも年を追うごとに高くなっていきました。
何より、集落単位で集まってひとつの雪像作品をつくることで、
住民同士の交流が生まれ、地域の絆を深める役割を持つようになりました。
また、雪像に留まらず、集落ごとに住民たちが運営する「ひろば」と呼ばれる雪まつり会場が誕生し、
それぞれの会場では温かい食べ物や飲み物などを振る舞って、訪れた人をおもてなしするようになりました。
高橋喜平の提案からはじまった、「雪を敵とせず友として楽しむ」「住民手づくりの冬の催し」という
雪まつり発祥の原点は受け継がれ、十日町雪まつりはさらに魅力を増してきたのです。


昭和56年・第32回の雪上カーニバル会場、フランスのサクレ・クール寺院をモチーフにしてつくられた
「祈りの館」は、世界で最も大きな雪の建造物としてギネスブックにも認定 された作品です。
大きさだけでなくその高い芸術性も評価され、雪の芸術作品を楽しみに、
今では毎年全国から多くの人が十日町に足を運ぶようになりました。
住民一丸となって取り組む雪の祭典「十日町雪まつり」は、
地元十日町の人の温かで素朴なおもてなしの心と高い芸術性を楽しむ、世界に誇る冬の一大イベントなのです。


いかがでしたか?頭の中に素敵なメモは描けたでしょうか。
『越後妻有アートメモ』、今日ご紹介したアートは、2月15日から17日に開催される
「十日町雪まつり」でした。

 

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2013/02/08 第40回「レルヒ祭」

『越後妻有アートメモ』

この番組は、エフエムとおかまち・FMゆきぐに・エフエム上越をネットして、
企画・制作エフエムとおかまちでお送りします。

雪深く、豊かな自然に囲まれた越後妻有は、伝統と文化が息づくアートの宝庫。
この番組では、妻有の里山を舞台に数多く点在するアートとともに、この地域の様々な魅力をご紹介します。

今日ご紹介するアートは、2月9日・10日に上越市で開催される「レルヒ祭(さい)」です。
それでは皆さん、メモのご用意はよろしいでしょうか。


新潟県内第3の人口を持ち、県南西部の日本海に面した上越市は、
越後地方の政治・経済の中心として栄えてきました。
上越市高田地区の中心部、高田駅から車で10分ほど上信越自動車道方面へ 向かって走ると、
小高い丘のような山が見えてきます。
これが、毎年2月に開催される「レルヒ祭」の会場となる金谷山(かなやさん)です。


上越市の西側に位置する金谷山は、標高145メートル の小さな山です。
周辺一帯は金谷山公園として整備されています。
山の斜面を利用した「金谷山スキー場」は、冬になるとファミリー層を中心に多くの人で賑わい、
夏場は山頂からコンクリートコースを滑り降りるスーパーボブスレーなど、
年間を通してスポーツが楽しめます。
金谷山の中腹に建つ、立派な記念碑と銅像をご存知ですか?
これは、「大日本スキー発祥の地」という記念碑と、
明治時代、日本に初めてスキーの技術を伝えたオーストリア=ハンガリー帝国軍の
テオドール・エドラー・フォン・レルヒ少佐の像です。
2つの建造物は、日本のスキーの歴史の中で、ここが重要な場所だということを物語っています。


レルヒ少佐というとあまり馴染みがないかもしれませんが、
「レルヒさん」というキャラクターを知っている人は多いのではないでしょうか。
黄色い服に帽子を被り、髭を生やしてどこか掴みどころのない表情をした外国人男性が、
一本杖でスキーに乗っているという風貌のキャラクター「レルヒさん」は、レルヒ少佐が由来しています。
2011年、日本スキー伝承100周年の節目を記念して、
レルヒさんは新潟県のスキーキャンペーンのキャラクターとして誕生しました。
スキーシーズンだけでなく、夏場のイベント出演やコンビニとのコラボ商品発売など、
今やレルヒさんは新潟を代表する人気のご当地キャラクターです。


日本にスキー技術を伝え、その功績から後にご当地キャラクターのモデルにまでなっているレルヒ少佐ですが、
日本に来た当初の目的はスキーの指導ではありませんでした。
日露戦争でロシアと対立し、勝利を収めた日本軍の視察のため日本を訪れたレルヒ少佐は、
赴任先の高田で陸軍13師団の団長だった長岡外史(ながおか・がいし)中将から、
部下たちへのスキー指導を依頼されました。
雪の中の移動に応用できるスキーの技術は、日本の軍事に必ず役立つと長岡中将は考えていたようです。
スキーの名手だったレルヒ少佐はこの申し出を受け、
明治44年1月12日、14人の陸軍将校を集めてスキー演習を行います。
これが日本におけるスキーの歴史の始まりでした。
高田に伝わったスキーは、軍隊だけでなく民間にも、そして女性の間にも広く浸透していきます。
演習からわずか1か月後の2月、日本初のスキークラブ「高田スキー倶楽部」が設立 されるなど、
瞬く間に新潟県内、そして日本国内に伝わっていったのです。


上越市内には、レルヒ少佐に関するものがたくさん残っています。
市街地を見下ろす金谷山の中腹には「大日本スキー発祥の地」の石碑やレルヒ像と共に、
日本のスキーの歴史資料やスキー用具を展示した「日本スキー発祥記念館」が建てられています。
また、スキー伝来から100周年を迎えた平成23年には、市民団体「レルヒの会」の働きかけで、
レルヒ少佐がスキー演習をしていた場所が現在の上越市南新町(みなみしんまち)の
城西(じょうせい)中学校の西側だと特定されました。
中学校には、フランス語で行われていたというレルヒ少佐のスキーレッスンの掛け声になぞらえて、
「スキーを履きなさい」という意味の「メテレスキーの地」という記念碑が設置されています。


レルヒ少佐の偉大な功績を讃えて、上越市では毎年2月に「レルヒ祭」を開催しています。
会場となる金谷山スキー場には、日本にスキーが伝わった当時の様子を再現して、
一本杖スキーの実演が行われます。
男性も女性も当時の衣装を身にまとい、一本の杖を巧みに操ってゲレンデを滑り降りてきます。
また、地元の小学生による金谷山太鼓(かなやさんだいこ)の披露などが行われます。
もう一つの会場、高田本町(たかだほんちょう)商店街では、雪灯篭を灯して訪れる人を出迎え、
軒を連ねた屋台では温かい食べ物や飲み物、ご当地グルメなどが振る舞われます。
レルヒ少佐にスキー演習を申し出た長岡中将が命名 したと言われる、
地元のB級グルメ「スキー汁」は、特に人気メニューです。


レルヒ少佐が帰国した後も、日本との交流は途絶えることなく続きました。
昭和56年、アルペンスキー発祥の地・オーストリアのリリエンフェルトと上越市は姉妹都市となりました。
現在でも、スキーを通じて多くの人たちが出会い、冬を楽しんでいます。
日本にスキーを伝え、スキーを広めたレルヒ少佐の功績を讃えるレルヒ祭は、
国を超え、スキーを通じて交流したその心意気を受け継ぎ、培われた歴史を改めて感じる催しなのです。


いかがでしたか?頭の中に素敵なメモは描けたでしょうか。
『越後妻有アートメモ』、今日ご紹介したアートは、
2月9日・10日に上越市で開催される「レルヒ祭」でした。

 

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2013/02/01 第39回「南魚沼市雪まつり」

『越後妻有アートメモ』

この番組は、エフエムとおかまち・FMゆきぐに・エフエム上越をネットして、
企画・制作エフエムとおかまちでお送りします。

雪深く、豊かな自然に囲まれた越後妻有は、伝統と文化が息づくアートの宝庫。
この番組では、妻有の里山を舞台に数多く点在するアートとともに、
この地域の様々な魅力をご紹介します。

今日ご紹介するアートは、2月9日と10日に開催される「南魚沼市雪まつり」です。
それでは皆さん、メモのご用意はよろしいでしょうか。


新潟県南部に位置する南魚沼市は、交通の要所として栄えてきた地域です。
市内にある坂戸山は、越後の守護・上杉氏に縁のある坂戸城が築かれた場所として、
市民のシンボル的存在として慕われています。
634メートルという標高を活かし、県内屈指の山城と謳われた坂戸城は、
越後と関東を結ぶ重要な交通路の抑えとして、
また、軍事・政治の中心施設として古くから機能してきました。
現在、坂戸山には登山ルートが整備され、人気の日帰り登山スポット として、
ハイカーや南魚沼市民の憩いの場になっています。


南魚沼市の中心部、六日町駅の東口から商店街を抜けると、
魚野川に架かる「六日町大橋」が見えてきます。
「愛の大橋」という愛称のあるこの橋は、中心市街地と坂戸城跡を結んでいます。
橋の欄干(らんかん)には、2009年に放映されたNHKの大河ドラマ「天地人」で注目を浴びた
上杉氏の重臣・直江兼続が身に着けていた「愛」の漢字をかたどった兜が刻まれ、
橋の袂(たもと)には地元六日町温泉を利用した「お六の足湯」が併設されています。
この、坂戸山のふもとに開けた魚野川の河川敷を会場にして
冬に開催されるのが、「南魚沼市雪まつり」です。


近代雪まつりの発祥とされる十日町市の雪まつりや札幌市の雪まつりは、
今年で開催64回目になりますが、南魚沼地域の雪まつりも同じように歴史は古く、
今年で開催63回目を迎えます。
南魚沼の雪まつりは、市町村合併する前の旧六日町伊勢町(いせちょう)にある
大神宮で2月14日に行われていた、春を呼ぶ祭礼・春まつりに由来します 。
昭和20年代頃から、住民が除雪のために道路に高く積みあげられた雪で
様々な形をつくって楽しむようになり、
やがてそれが雪国の風俗を象徴する雪の芸術コンクールとして、
町内各所で雪像の制作が盛んに行われるようになりました。
しかし、環境が整備されるにつれ、雪像をつくる場所の確保ができなくなり、
町内毎に開催することが難しくなりました。
このような流れで昭和26年からは会場を1ヵ所に決め、
大神宮祭礼・春まつりの日程に合わせて「六日町雪まつり」を開催するようになったのです。
市町村合併により南魚沼市が誕生した2005年からは、
「南魚沼市雪まつり」と名前を変えて現在に引き継がれています。


南魚沼市雪まつりは、六日町雪まつりの頃から、長い間六日町小学校の近くに特設会場を設けていましたが、
昨年の第62回からは六日町大橋の袂(たもと)、魚野川の河川敷に会場を移し、内容も一新して開催されました。
会場周辺の回廊には雪の灯篭が設けられ、柔らかな明かりで来場者を出迎えます。
日が沈む頃、坂戸山では「百八灯」という伝統行事が行われます。
江戸時代初期から続くこの行事は、坂戸山の薬師尾根伝いに108の松明を焚いて、坂戸山の稜線を映し出します。
松明の明かりを捧げて農家の神様「稲荷大明神」や山の神々に無病息災・五穀豊穣を祈り、
先祖の供養として冥福を願うのです。夜になると、魚野川の河川敷では雪原を背景に、
空飛ぶ灯篭「幻想の雪ホタル」がゆらゆらと舞い上がります。
寒い中、様々な照明を使った幻想的な光の演出はとても好評で、
南魚沼市雪まつりのメインイベントとして行われます。


また、新たな試みとして、今年の雪まつり会場では六日町上町(かんまち)地区の八坂神社に
400年以上前から伝わる、「婿の胴上げ」という行事が行われます。
松之山のむこ投げと同様に越後の奇祭と言われる「婿の胴上げ」は、
毎年1月6日、八坂神社の春祭りの夜、前の年に結婚した新郎を胴上げして祝うという、
風変わりな習わしが残っています。
戦国時代の武将・長尾政景が地元を繁栄させるため、他の地域から来た婿養子を祝って胴上げしたことが始まり、
という言われのある伝統行事を、南魚沼市雪まつりで再現します。


雪まつり特設会場では、訪れた人をおもてなしする様々なイベントが展開されます。
メインステージでは郷土芸能やゲストの華やかなショーが繰り広げられます。
会場は、地域の食が楽しめる「ふれあい店エリア」や
雪国のおもてなしが楽しめる「ほんやら洞エリア」に分かれていて、地元の人が温かく出迎えてくれます。
「ほんやら洞」とは小正月の行事などで作る「雪の小屋」を意味する、魚沼地域の方言です。
「かまくら」をイメージするとわかりやすいでしょうか。
雪でつくったほんやら洞の中に小さなお店を構え、雑貨や小物を売る市が出たり、
地元の食材をふんだんに使ったキノコ汁や地元の蔵元がおすすめする地酒、甘酒などが振る舞われます。


雪像やほんやら洞などから始まった、地元住民が築いてきた素朴なお祭りは、
今や南魚沼地区最大の、冬の一大イベントにまで成長しました。
伝統ある雪まつりに新しい試みを取り入れることで、今後さらに魅力を増すことでしょう。
風情ある雪国の冬の祭典に、ぜひ出掛けてみてはいかがでしょうか。


いかがでしたか?頭の中に素敵なメモは描けたでしょうか。
『越後妻有アートメモ』、今日ご紹介したアートは、2月9日と10日に開催される
「南魚沼市雪まつり」でした。

 

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